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【スウェーデン大学院】国によって全然違う?修士号の捉え方

こんにちは、私は2025年8月からスウェーデンで2年間の修士課程に在籍しているのですが、先日私の修士プログラムのグループチャットでクラスメイト同士のちょっとした議論?があって、考えさせられたことがありました。

 

私のプログラムでは週ごとに先生が変わって、トピックも変わることが多いのですが、ある日、次の週を担当する予定の先生から講義前にしておいてほしいタスクが送られてきました。その量が、これまで他の先生の授業での事前タスクの量と比べて明らかに多いうえに、その週は成績で割と大きな割合を占めるプレゼンもある週でした。ということで何人かのクラスメイトたちはおかしくない??という問いかけをグループチャットに投げかけたのです。

 

そこから色んな人のちょっとしたコメントが積み重なったのですが、ある人の言い分では、これは自分が修士号に求めてたレベルの勉強量で、逆にこれまで要求されてきた勉強量は簡単で軽すぎた、ということでした。この意見に賛成する人もそれなりにいて、いやでもそれでもプレゼンもある中でこれはおかしい、という人もいたのですが、そんな議論の中で出てきた1人の意見に私はすごく共感しました。

 

彼女の意見としては、

 

これぐらいの量が修士レベルの勉強量としてふさわしいし、これまで求められてきていた勉強量がそこまで多くなかったと言う意見はとてもわかる、でもそれは強制で絶対にやらなければいけない量が多くなかっただけでオプションとして提供されていた勉強量はたくさんあった、私たちは修士レベルにいるということは誰かに強制されて勉強するのではなくて、自分たちで自主的に学ぶことが求められていると思ってる、自主的に学ぶために役立つ本とか論文とかリソースは先生たちもたくさん提供してくれている、ただ私たちは勉強以外にやらなければならないことがある人もいて、働きながら大学に通っている人もいて、そういった提供されているもの全部をこなせるわけではない人もいるからこそ、強制で絶対にこなさなければいけないタスクはやった上で、各個人ができる最大限の努力をもとに得られる最大限の学びを得る場所だと思っている

 

とのことでした

 

私はこれは本当にそうだなあ、と思って、スウェーデンの修士号とかスウェーデンの大学教育というものを的確に表しているなあと思いました。別にこの修士号のあり方が良いとか悪いとかではなく、ただスウェーデンではそういうものなのです。

 

私が思うのは、とにかくこの修士プログラムにいる私たちは、色んな面で”違いすぎる”ということです。もちろん4割ぐらいがスウェーデン人で、合計9割ぐらいがスウェーデン内外から来たヨーロッパ人ということでめちゃくちゃ多様性があるとは思いません。ただ、それでも十分すぎる違いがプログラムの中には存在しているのです。

 

修士号の取得とかそもそも大学に通うこと自体が、金銭的にも勉強量的にもすごく負担の大きいという国から来た人もいれば、スウェーデンのように自国民とEU市民にとっては学費もかからず、授業数や求められる勉強量も多くない国から来た人もいます。私たちのプログラムは英語で勉強していますが、英語が母国語の人もいれば、母国語ではないけど英語に近い母国語を持つ人もいれば、英語とは全然違う言語圏から来た人もいます。また、私たちのプログラムは学際的プログラムと言って、様々な専攻を学んできた人が集まって学ぶプログラムです。このプログラムは政治学の理論や概念が大きな部分をしめていますが、政治学を学んだことがない人もいれば政治学専攻だった人もいて政治学の知識レベルもバラバラです。経済的にも奨学金や親からの援助がある人もいれば、自分で働きながら大学に通わなければならない人もいます。そもそも修士号を取得する目的だって、研究者を目指す人もいれば、ただ学部卒業後に何をすればよいかわからなかったから修士に来た人もいます。

 

今のように、強制の勉強量は少なく、オプションで勉強したい人にはリソースが提供されているという仕組みが、上で書いたような本当に幅広い人々が集うプログラムを機能させているのだろうなと思っています。私は個人的にはこの仕組みに賛成だけれど、もちろん修士号を取得するためには強制力の強い勉強をもっと課してほしいという人もいるのは理解できます。ただ、スウェーデンの仕組みはこうなっているのだからそれを受け入れていくべきなのではないかなというのが私の思うところなのでした。